●明るく元気で笑顔多めの生活の基盤は夫婦の仲●

東京で芸人として仕事をしている中で、レギュラー番組のほとんどが大分や九州が中心だったんです。そんな時にコロナが流行し出しまして、同じ頃にちょうど二人目が生まれたんですね。
コロナで大分や九州での仕事は激減しました。九州のテレビ局は「東京から移動してこないで!」って感じでしたし、妻は愛知県の人なのでお互い親戚も親しい友人も周りにいないし、不安だらけの毎日でした。ボクの母親も高齢になって、長男としての役割もありましたし、いろんなことが重なったから一念発起して「よし!大分に移住しよう(帰ろう)」ってなりました。やっぱり自分が育ってきた大分で子育てしたいって想いもありましたし。
え?妻の反応ですか?結婚した時もそうだったんですけど、40過ぎた売れない芸人のボクのところにお嫁に来てくれたこと自体、奇跡ですから(笑)。大分に移住しようって話した時も「はい!ついていきます!」って感じですんなり決まりました(笑)。

第一子が生まれてから、自分の世界観が一気に変わりました。子どもってすごいですよね!命の尊さというか、感動というか。でも一方でこの小さな命を育てていく責任感がどっと押し寄せてきて、ちょっと不安になったんですね。その時に、地元で働いて家庭を築いて、子育てをしてる友人たちを尊敬しちゃいました。今までは、田舎を出て東京で仕事をしている自分にステータスを感じてたんですけど、地元で暮らして子ども育てるって、そっちの方がカッコいいし、すごいことなんだって思い知らされました。
大分で子育てしてみて、自分が小さい時に経験したことや行った場所を、子どもと一緒にもう一度体験できて、尚且つ今まで気づかなかった大分の良さを再発見したりすることがあると、大分に帰ってきて良かったって思います。5年間千葉で暮らしてましたけど、子どもたちがバリバリの大分弁で喋ってるのを聞くと単純に嬉しいですね(笑)。
ボクは褒められたパパじゃないと思ってます。今まで自分勝手に生きてきたし、結婚して子どもが生まれたら、妻と子どもを養っていかなきゃいけないって仕事に逃げて、子育ては妻任せにしてたところもありました。でも大分で暮らすようになって子どもや妻と向き合う時間が増えて、周囲の人たちへの感謝の言葉を言えるようになりましたね。素直にありがとうって他人に言えるようになったのは、妻と子どものおかげですね。

結婚した時から妻との間で「いつも笑顔でいようね!」というのが我が家のルールです。ボクみたいな売れない芸人と結婚したから(笑)、せめて家ではずっと笑顔でいたいじゃないですか(笑)。子どもが生まれてからもそのルールは変わらず、夫婦が仲良く笑顔でいたら、子どもたちにも伝染すると思うんです。
おかげさまで、2人の息子たちも明るく元気で、笑顔多めに育ってくれてますし、子どもたちと妻には「大分に移住してきて良かった」って言わせたいですし、言わせ続けなきゃと思ってます。そのためにも笑顔の絶えない家族でいるというのが我が家のルールですかね。いや、自分自身の決意ですね(笑)。

子どもは育つ場所を選べないから、親に責任があると思ってます。子どもたちが何かやりたいって言い出した時、挑戦できる環境は整えてあげたいし、選択肢を与えてあげたい。自分自身が親に心配をかけながら自分勝手に生きてきたから、子どもたちにもやりたいことを見つけて、大切な仲間を見つけてほしいです。後悔しない人生を後押しすることしかできないんじゃないかな?ボクも子どもが生まれた時点で立派な親に変身したわけじゃなくて、親だって1年生から始まるんだから子どもと一緒に悩みながら成長するもんだと思ってます。楽しく仕事してる自分の姿を見てくれたらいいし、楽しく人生を送れば良いんだって子ども達が思ってくれたら嬉しいな。
大分への愛、家族への愛が溢れすぎるくらいの
えとう窓口さん。
そんなえとうさんが総合司会を務めるイベントが開催されます!

高等学校教員免許(公民)、温泉ソムリエ、大分市とり天応援団長、「別府八湯温泉道表泉家八十八湯」名人、おんせん県おおいたおもてなしサポーター、小型車両系建設機械(整地等3t未満)運転特別教育修了証(=フォークリフトの運転資格)、アーク溶接特別教育修了証といった資格及び免許を所持。
2021年から大分に移住。地元大分を中心にテレビ・ラジオ、イベントなどで活躍中!
